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反原発に対する意見、可怪しくないか?

反原発のデモが続く中、それに対する批判的な意見をよく目にする。

(1)現実が見えていない。原発無くしたら被害がどれだけ出ると思ってる。
(2)原発に反対するなら電気を使うな。

色々な意見はあるが、概ねこの2つが大半を占めているだろう。

この内、(2)の意見を言う人達は、自分が義務と権利の原則を無視している事に気がついていない。
若しくは気がついていても無視しているかだ。

原発に反対している理由は人それぞれだろうが、一番の理由は危険だという事だ。
福島の事故によって発生している放射能汚染は未だに解決の目処が立たず、このままでは福島原発一帯の地域は文字通り滅んでしまう。
海洋汚染、大気汚染も深刻だ。
そしてこれだけの被害を齎しているのは、たった一箇所の原発である事を忘れてはいけない。
もし、同規模の事故が西日本でも発生すれば、日本はほぼ全域を放射能に汚染されかねないのだ。

その危険を回避したいから原発に反対だと言う人達に対し、反対するなら電気を使うなと言うのならば、反対しないのなら事故発生時には全資産をもって反対者の資産を守れと言うのに等しい。

原発から大半の人が得る利益は電力だ。
反対している人の殆どはそうだろう。
そして事故が起きた際に奪われるのは生活そのものだ。
放射能に汚染され、これまでと同様には生きられなくなる。
国や電力会社はまともな保証もせず、自分達の利益だけを求める。それは福島の事故に対する対応が証明している事実だ。

つまり、原発によって得るものは、
権利 = 電力
義務 = 事故時の被害
となる。

反対者に権利である電力を放棄させる以上、義務である事故時の被害も放棄させなければならない。
それが権利に対する義務の原則だ。
だが、現実として事故が起これば反対者も被害に巻き込まれる。
つまりこの時点で権利の放棄は要求されているのに義務は課せられるという矛盾が発生している。

である以上、その義務である事故時の被害を放棄させる為、権利の放棄を要求する者には例え全資産を投げ打つ事になったとしても、反対者の資産を守る義務が発生する。
それが、相手の権利放棄を要求する権利に対する義務だ。

逆に言えば、反対者は事故時の被害という義務を放棄、つまり事故による資産喪失防止を全保証される権利を得る代わりに、原発による電力を得られなくなる義務が生じる。

まとめると、こうなる。
原発反対者
・権利:事故による資産喪失、健康被害の完全防止保証。
    若しくは事故前の生活と同レベルの生活と生じる精神的苦痛に対する金銭保証。
・義務:原発によって発電された電力使用禁止。

原発推進者
・権利:原発によって発電された電力の使用。
・義務:事故発生時に全資産没収。

相手の権利を奪う以上、己の権利も奪われる。至極当然な事だろう。
そしてこれを見ても、原発反対者に電力使用の禁止を求められるだろうか?

だからこそ、(2)の意見は可怪しいと言える。
事故が発生した時点で原発推進者も被害を受けて資産を失う事になる以上、推進者としての義務は果たせなくなる。
言わば、売却が決定している物件を担保に金を借りるのに等しい。
にも関わらず原発反対者には権利の放棄を要求し、己の義務は無視している訳だ。
どう考えても可怪しいだろう。

次に(1)の意見だが、こちらにも問題はある。
確かに原発を無くす事による被害は生じるだろう。
それがどの程度の被害になるかは判らないが、考えられるものとして
(a)電力不足による停電。及び停電による二次被害。
(b)原発によって生かされている地域の衰退。
(c)原発によって不当に利益を得ている輩の収入減。

こんな所だろうか。

まず、(c)に関しては気にする必要はない。
こんな連中の懐を温める為に生活を危険に晒す必要は皆無だ。

(b)について考えると、幾つかの案が挙げられる。

1つ目は補助金による利益の保証だ。
原発が無くなる事によって周辺地域では補助金を得られなくなる事について危険視する意見がある。
だがこれは、原発周辺地域に使用済み核燃料や放射性廃棄物の最終処分場を作れば問題は解決する。
例え原発が無くなろうと、処分場の設置に対する補助金に切り替えれば何の問題もない。
元々、出た所で処分するだけの事であって、他の地域に汚染を広げない意味でも利点だろう。
大体が放射能に対する危険を享受する義務に対する権利が補助金だ。
更にこの方法の利点は、最終処分場はおそらく百年単位で無くならないという事だ。
つまり、その間は補助金を貰い続ける事ができる。原発が無くなってもずっと。

2つ目は原発に依存した雇用問題。
しかしこれも、原発から最終処分場やその周辺施設に雇用先を変えれば問題ない。

3つ目は原発の下請け企業。
これも最終処分場とその周辺施設に取引先を変えれば良い。

以上の3つの案から、地域の衰退はある程度防げると思われる。

最後に(a)についてだが、今現在、日本で稼働している原発は大飯原発一箇所だけで、他は稼働せずになんとかやれている。
つまり、最悪でも後2箇所程度の稼働だけで日本全体の電力は賄えるという事だ。
となれば、その3箇所の安全性を徹底的に高めた上で限定稼働し、その他の原発を全て廃炉にする。
処分には年単位、下手をすれば10年以上の時間がかかるのだから、不要な分は早めに処分にかかる必要があるだろう。

更には残る3箇所も順次停止できるように、原発以外の発電を開発、非常時電源の確保を進める。
そうすれば完全に原発の存在が無くなるには時間がかかるかもしれないが、原発による事故の危険性は極力下げることが出来るだろう。

こう考えると、反原発に対し現実が見えていないと言うのも、ある意味的外れだろう。
原発に反対する事は間違っていない。
停電に対する懸念から、発電状況が改善されるまではいくつか残して欲しいという意見なら兎も角、もっと稼働させろというのはあまりにも危機意識が薄すぎる。
世界で唯一の原爆被爆国で、世界でも稀に見る大規模原発事故被災国なのだから、もっと原子力に対する危機意識を持っていても可怪しくないはずだ。
にも関わらず、必要だから、無いと困るからと言って危険なのを知りつつ推進しようとするのは可怪しいだろう。

反原発、脱原発と色々言い方はあるが、ようは今まで知らなかった原発の危険性に気づき、無くしていこうという動きだ。

反原発に対してよく言われる事がある。
「福島の事故が起きるまで、原発が危険だと言ってなかったくせに」
確かに知らなかった。
知ろうとしなかった。
だからいまの現状を生んでいる。

だけど、危険に気づいたのに何にも対策を打たず、ただ惰性に使用し続けるのは緩慢な自殺だ。

アスベスト等でも同様だろう。
危険だと知らずに使っていた。便利だったから。
だけど危険だと気づいたから使用を止めた。
そして代替品を生み出した。
今ではアスベストを使う事が間違いであり、使用した古い建物を壊す時等には最大限の警戒をする義務が発生している。
建築物の彼方此方で「アスベストは使用していません」という文もよく見かけるようになった。
禁止が言われ始めてからどの位経ったのか判らないが、使わないのが当たり前。そういう社会になったからこそアスベスト被害は拡大を防ぐ事が出来た。

原発も同じ事だ。これまでは危険に気づかなかった。
気づいていても大丈夫だと思っていた。
結果として事故が起こり、誰に目にも危険が理解できるようになった。

ならば反対運動が起きるのは至極当然の事だろう。

だというのに、反対行為に対して推進者としての義務も無視して権利の放棄を要求したり、現実を見ていないと言ったりするのを可怪しいと感じられないのは、何かが狂っているのではないだろうか。

福島の原発は未だに放射性物質を垂れ流している。
汚染は拡大する一方だ。
最早あれは原子力発電所ではなく、放射性物質拡散所でしかない。
そして日本全国にある原子力発電所は全て同じ存在になりかねないという事を国民全体が認識し、警戒意識を持ち続けなければならないだろう。
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